揺れ動く両極の自分を
ちゃんと知る(見る)時、
見えてくる(知れる)ことがあります。
もう片側の
自分の弱さや隠した孤独や
誰にも見せたくない
醜い自分、疑いの自分です。
どうしても嫌ってしまいますが
それすらパーフェクト!です。
そして何かを強く信じている時って
信じようとしている時でもあり、
片側の疑いを知りながらも、
いや、知っているからこそ
そこを消そうとして信じている自分に
なろうとしていただけ。。
実は信じていなかったんだなって
思います。
コンプレックスを隠し
違うフリをしていたようなもの。
本当の信じているは
信じていると信じていないという
両極もない、
ただただ静かに信である自分に
なっていることだと思うのです。
この人はパートナーだ!
ツインレイはいる!と思いながらも
パートナーはいるのか?とか
本当にこの人なのかどうか?とか
旦那さんは究極の相手なのか?とか
そしてこれからどうなるんだろう?とか
みなさん様々でしょうが
思考の分離の世界ではどこまでも
悩みや不安しか
無かったりしますね。
それをしっかりと逃げずに知ること。
消そうとしなくていいのです。
その自分に気づいていてあげる。
そして両極を同時に受け入れます。
どちらかを選択することではなく
その両極のあるがままの自分を
俯瞰して知ることが大切なのです。
選択は俯瞰したところからが大切です。
その時は選択するというよりも
1つだけが見えてきます。
高次の意識=俯瞰すること、全てを内包していくことなのです。