漢字には答えがあります。
日本語ってすごいなぁと
いつも感心します
自分自身という漢字 。
自らを分けた
自らの身体と書きます。
自らを分けるのだから
分けたのはもちろん自分です。
分けたのだから
分かれた自分がいます。
シンプルです。
真実はシンプルですね。
自分が思う自分はいません。
自分だと認識しているもの。
それは
過去の体験から
思考で作り上げた自我です。
自我から本質への目覚め。
そして
アセンションには
究極のパートナーが
絶対に欠かせません。
思えば究極のパートナーが、
いるのか、いないのか、に
悩んだ時期もありました。
形のない見えない道を行くのに
悩むというより
恐怖が襲いました
いると思っても、
一部の人しか出会えないと
思い込んだ時期もありました。
全ての迷いが愛おしいです。
迷って迷って
たどり着きたかったのだと
どこまでも
ストイックだと思います。
そして
自分を分けたもう1人の「自分」が
究極のパートナーなのだから
パートナーは自分ということになります。
だから
パートナーはいないと言うのも
ある意味正解です。
外側には答えはありません。
どちらにしても
内側が写し出されているこの世界。
観えない内側が全てです。